12月 新作「BUAI」更新予定表と読者様へのメッセージ
こんにちは。三帖ゆうじです。
この度、12月から始まる第九回カクヨムコンテストに小説を公開することにしましたので、備忘録も込めて事前にお知らせをさせて頂きます。
各章ごとに区分けしてアップをしていく予定です。
読んで下さる方々に、現時点での精一杯を届けられたらと願っています。
また余裕があれば身辺警護や葬儀職の豆知識なども合間にアップしていきたいと思います。ぜひ、楽しんで読んで頂ければ幸せです。
<作品詳細>
作品名 「BUAI」
<アップ予定>
~12月4日
・物語専用 無線コード表
・物語専用 点描タイトル画像
第一章「転職」 12月5日(火曜日)更新予定
第二章「天職」前半 12月9日(土曜日)更新予定
第二章「天職」後半 12月12日(火曜日)更新予定
第三章「回顧」 12月16日(土曜日)更新予定
第四章「独立」前半 12月19日(火曜日)更新予定
第四章「独立」後半 12月23日(土曜日)更新予定
第五章「再会」前半 12月26日(火曜日)更新予定
第五章「再会」後半 12月30日(土曜日)更新予定
第零章「起源」前半 1月4日(木曜日)更新予定
第零章「起源」後半 1月8日(月曜日)更新予定
<作品へ込めた想い>
僕自身が実体験してきた「民間の身辺警護」と「葬儀社」をモチーフにした作品です。警護対象者の生命と生活を護るために命を懸ける身辺警護。主人公はとある人物の愛情を受け、民間の警備会社に入社し、著名人や一般人の警護に生き甲斐を感じていましたが、とある事件をきっかけに退職をしてしまいます。
そして立ち直れずに引き籠りになり、二足歩行が出来なくなるほど落ちぶれる。
そんな主人公が辿り着いたのが、「人の死を学ぶこと」でした。
ある葬儀社と出会い転職を果たし、年下の新入社員と切磋琢磨して、まずは葬儀担当者になるために担当者試験の合格を目指す前編。
そして事件の悪夢を払拭し、一人の大人と葬儀担当者として再生していく後編。
愛を知らない主人公が、どう変わっていくのかが見どころであり
最大のテーマです。
終盤にならないと明かされない真相も多いので
粘り強くお付き合い下さると嬉しいです。
日常生活の中で触れることのない警護と葬儀の世界。
葬儀の仕事をしながらも、至るところに警護シーンや事件が発生するので
既存にはない面白いストーリーになっていると思います。
僕は極端な人間です。
明日が無いかもしれないと生き急いできましたが、
その分、正義感を持っているし、その分、人を追い込んでしまったこともあります。
息苦しい生活でもありましたが、人の生死と愛を学ばせても頂きました。
その生き方が正しいとは思えないけど、そう過ごしてきて良かったと思っています。
本作で登場する葬儀社は、実際僕がお世話になった葬儀社をかなりリアルに再現しています。
身辺警護業界は実質3-4年余りの勤務期間でしたが、警護対象者という第三者に命を懸けた日々を今でも誇りに思っています。
二つの仕事、会社、働いた皆さんに心から感謝を込めて
BUAIを一人でも多くの読者様に読んで頂けたらと思います。
三帖ゆうじ
小説「Be Heaven」へ込めた想い
島国に生きている。
僕にとって日本は広すぎる。
減っているといっても、余りに多くの人々が生きていて、情報が飛び交っている。
密度が高いのだと思う。
近くに人や物が溢れすぎていて、感性が追いつかない。
だから、乗り越えないといけないことは多いけど、
いつかニュージーランドなどの島国で暮らしたいと願っている。
物語を書いていて最近思うことがある。
遺書として書き始めた話の一つ一つが
若い頃、弱い自分が叶えられなかったことを書き求めていると気付かされた。
年老いて寂しくなる分、書くことで埋め合わせをしているのかもしれない。
物語は架空の島で始まる。
そこには汚い言葉遣いを使うものはいない。
人様に迷惑をかける者もいない。
人欲を誘惑する施設もない。
自分が追い求めた理想郷を描きたくて作った島。
書き始めた当初は楽しかった。
ここなら気持ちよく生きていける。
一人の人間としても成長できる。
片道切符は上等で、そこでこそ自分らしく生きていける。
と書いている度に、現実社会から逃避していた。
でも、終盤を迎えると現実を大切にして、もっと人々と向き合おうと感じた。
どんな理想を想い求めても、そこには人間関係の柵や狡さがある。
かといって完全に死を覚悟していない今、無人島で生きていく自信はない。
言葉は大事、礼儀も大事、
一人でも多くの住民が幸せに暮らせるための島づくり、政策も大事。
でも、その元にある人への愛が一番重要なのだと
当たり前のことを書くことで再認識したように思います。
狭い、広い、ではなくて
何処の国を実質統治している、支配されている、でもなくて
自分の過去や感情を言い訳にせず
人々や現実と向き合って、ぶつかっていこうと思った。
この話には、様々な古語や丁寧語、矯正センターという奇妙な学校
クラス別の対抗戦…お祭り…など色んなイベントが描かれていて
しがない主人公の半生を描いた物語です。
いつの日か、書籍化して一人でも多くの方の手に届くことを願っています。
処女作「anti que」への想い
処女作「anti que」を賞へ応募して二カ月半が過ぎました。
この作品は2040年の東京を自分なりに描いた世界線で、森の中に佇む遺体安置場所を描いた作品です。
葬儀社に在籍している最中からイメージしていて、日常ではスポットライトのあたらない遺体安置場所に焦点をあてて、人の死生観に触れた作品を書きました。
既に冷えてきましたが、冬場は多くの方々が亡くなられる季節です。
都内の火葬場は年末年始は稼動しないこともあり、公営・民営問わず安置場所が特に必要とされます。火葬時間は朝9時~午後3、4時までが一般的(30分や一時間刻み)です。
安置場所の運営に届け出は必要ありませんが、立地を熟考しないと、高い確率で住民の反対を受け、運営が困難に陥ります。
誰でもいつかは死にます。
家族がいなくても、行政のお世話になる時が来ます。
しかし、人の死が疎遠になった現代、今でも多くの人間がご遺体を忌み嫌います。
「不幸ごとを運んでくる」「遺体の匂いがする」「黒い寝台車や不吉」
葬儀社在籍時代にも、多くの安置場所が淘汰されていました。
とても悲しいことですが、現実です。
生活している中でも感じることですが
このような現代状況下の中で
自分や近しい人のことしか考えれない人々が多いです。
近年書籍の未来統計を読むと、凡そ2042年に年間の死亡者数がピークを迎えます。向こう20年近くは死亡者が増加を辿っていくのです。
遺体安置場所は誰もが必要とする場所です。
だからこそ、この作品をどんな形でも早く世に出したい。
落選したも、手立てを変えて出版したいと思っています。
そして物語に出てくる、死生観に特化したユニークな施設を
想いに共感して下さる方とプロジェクトを立ち上げ実現したいと思います。
そして、現代人の多くに伝えたい。
小説や物語を通じて届けたい。
死をイメージして生きていくことが、とても儚く美しいことを。
今を生きることに迷いが不安があるのなら
自分なりの死を考え、学ぶことで、生きることを実感すればいいだけです。
言葉では簡単で、難しいことでもあるのですが
目を背けていたら、本質は何も変わりません。
そういう人間が多くなれば、凝り固まった小さな価値観は変化し
世の中は変わるはずです。
もっと、第三者が思い遣り合う世界に。
だから僕は余命ある限り、まずは死生をテーマにした物語を書きます。
それが自分なりに考えた、現在与えられた役割のように感じるのです。
その感覚を大切にして、世に出て行こうと思います。
賞の結果次第ですが、読みたいという方は是非、お声がけ下さい。
てがみ
もうすぐ、ある出来事から20年が経ちます
許される、許されないは、確かめること出来ませんが
生きていていいのか不安です
一生に忘れることはできないし
忘れたいとも思ったことはありません
消してしまった…
傷つけた…救えなかった…終わりにしてしまった…
今日、映画「手紙」を見ました。
ラストシーンを、何度も見返しています。
好きな曲「言葉に出来ない」が、
こんなに心に突き刺さったのは、初めてです。
書くことに必死なこと
何十時間もノートに色んなことを書き込むこと
書いてないと、とても不安で、
生きてる実感、沸きません
書いてないと、すごく悲しくて
今から逃げたくなって、何処かへ飛んでいきたくなります
見えないものを大切にしようと生きているつもりでも
見えない幻影を追ってしまう
許して欲しいとは、ずっと思っていないけど
夢の中に出て来て、姿が見たい、一言でも返事が欲しい。
「僕の人生は、たぶんとっくに折り返しを過ぎて、終わりに向かってる。
見た目も随分落ち着いて、言葉遣いもだいぶ綺麗になったと思う。
今更だけど、聞き上手になってきたし、逃げてきたことに
向き合えるようになったよ。」
そう言ってみたい。
真っ直ぐに瞳をみつめたい。
伝えたい。
泣きたい、思い切り。
ハグしたい。
まずごめんねって言って
馬鹿野郎と怒鳴って、頭を撫でたい。
聞きたい。
僕の生き方、だめかなって。
返事は何でもいいけれど
笑って欲しい。
あなたに会えて良かったと、思える人生を歩みたい。
書いているのは、その人への手紙のようなものなのかもしれない
手には届かなくても
いつか空気の粒子をすり抜けて
高く、高くに届くと信じたい。
39歳の終活生②
とある葬儀社でお世話になった約10年。
今の「僕」を形成した大切な時間。
地球上の、僕というちっぽけな人間の、僅か10年という月日だが、
「仕事」ではなく、「生きる使命」を教えてくれた。
これからは執筆を通して、葬儀業界を応援できたら、とても幸せだ。
当時ボディーガードを辞めた僕は、
立ち上げに参画した警護会社が業績回復したら、復職する予定で職探しをしていた。
(人の死を知らずして、人を死から護れるのか?)
そう自問自答し、葬儀業界に興味を持った。
入社を決めたのはベンチャー企業で、
遺族に未来を生きる勇気を与える。という理念を掲げ、
「想い」に特化した会社だった。
企業HPの社員紹介に、飼っている犬を載せていたのも好印象だった。
入社して三日目に、ある儀式のトークスクリプトが書かれた紙一枚を渡され、午後には現場デビューをさせられるわ、大した説明もないまま通夜スタッフとして働いて、先輩から怒鳴られまくる、や、やばいとは思った。
でも、一緒に働く人たちは、仕事をしていなかった。
当時、葬儀プランナーは数名。
それでも提供する葬儀が高く評価されていて、発展途上の真っ最中。
業界内で複数年連続成長率ナンバー1を記録した。
会社と、仲間。共に成功体験を重ねられた時は輝いていた。
担当する葬儀の前日には社員を集めてMTG。
部内の会議が深夜に始まるなんてざらだった。
窓から差し込む朝日に照らされて、オフィスにと倒れる仲間が毎日のようにいた。
もちろん会社が成長する真っ只中にいられるのは幸せで、伸びる快感は堪らない。
でもそれを差し引いた過酷な労働環境でも、誰一人愚痴を言わなかった。
人が死んでいるのに、まるで生きている人を助けにいくかのように車に飛び乗り
関東圏を飛び回る。何度か事故も起こしたし、心臓も肥大した。
でも、誰もが会社の理念の元に、「使命」を感じて生きていた。
生きる会社は強かった。
人間の様に呼吸をし、その息吹は利用者に届く。
そうして自然と多くの人々に利用された。
以前より、多くの新卒者が葬儀会社に入社していると聞く。
全ての人々に葬儀式が必要だとは思わない。
僕は「ゼロ葬」主義だし、
死する前に出来るだけ後悔ない最期を遂げた
故人と遺族にお悔やみは必要ないとも思う。
退いた身で偉そうで申し訳ないけれど
僕はこれまで働かせて頂いた職の中で
とある葬儀社の仲間を一番尊敬している。
なぜなら、各自が「喪失」を経験し
勇気を出して人を見送る世界の門戸を潜ったからだ。
人の悪口を叩かないし
自分本位ではなく
必死で思い遣りのある世界を創ろうとしている人々が多いからだ。
「葬儀業界」というと、良いイメージを持たない人間はまだ多いかもしれない。
社会的地位を低いと先入観を持つ者もいるはずだ。
でも、紆余曲折、様々な職業を経験した
僕のちっぽけな人生の歴史で
精神的地位が高く、人間として豊かな存在は
葬儀業界で働く仲間だ。
小説三作目は、これまでの自分史を参考にしながら、
葬儀社を舞台にした物語を書いている。
コンプライアンスが糞喰らえだとは言わない。
人は喪失を乗り越えなければ成長しないと、簡単には言ってはいけない。
しかし、良い訳ばかりの世の中に、
衰退ばかりを感じる人間界に、
生温さを感じて仕方がない。
これまでの人生で一番辛かった時期を支えてくれた
馬鹿みたいに使命を全うして、そんな時を忘れさせてくれた
葬儀という仕事に感謝して
僕なりの物語を書き上げたい。
三帖ゆうじ
39歳の終活生①
先月末は長編小説の締め切りがあり、10月の脳は忙しかった。
96パーセントは物語。残りはそれぞれ、家のこと、
何かと口に入れないと、寝れないこと、とある悩みが1パーセントずつ。
でも、僕は生きているぞ、と自分を励ました充実した一月だったと思う。
人にどう思われているかは然程気にしないけれど、
自分でも生き生きしているのが分かるくらい、生きていた。
11月になって、少し頭を休めることは、己の意思次第で幾らでも出来る。
懐かしい友人や職場の友人と食事に行く、
ギター・陶芸とか、仕事終わりに習い事に行こうとも考えてはいる。
けれど、また書き始めなきゃ。となる。
僕は生き急いでいるのか? 四六時中、自分に問いかけている。
たぶん、ボディーガードになりたいと決意した19歳。
ニュージーランドに留学していた頃?
いや、算数・漢字のドリルを一日で終わらせた小学生の時?
大好きだった祖母を自死で失った時?
ボディーガードを諦めて、葬儀社で働いた10年の間?
いつからかなんて考える程、分からなくなる。
でも、確かに言えることは、ボディーガードになった僕は
間違いなくクライアントのため、命を捨てる決心をした。
例えば職場の人に優しい言葉を投げかけたり、いかにも「あなたは優しいね」
といった言動はしないけれど、
家族、恋人、友人、困っている人、誰にでも…
本当に困っていたり、本当に、本当に悩んでいることがあったら、
例えば誰かが、命の危険に晒される状況にいるのなら、
僕は喜んでその人を、命をかけて守ろうと思う。
だから、いつそうなってもいいように、
やっぱり僕は生き急ぎたい。
この人、変わってる。
一般社会では誤解されるようなストレートな表現をするだろうけど、
僕はそれがいいし、それでいい。
この日常がまだ続くのであれば、
新たな一日に感謝して、
早く読み手の皆様の心を揺さぶる物語を、
一ページでも、一章でも、一作でもいいから残したい。
そんなことを思った、今日の僕です。
今後はコンクールのみならず、サイトから短編小説にチャレンジする予定です。
機会があればぜひ、読んで頂きたいです。
この日記も出来るだけ多く綴っていけたらなと思います。
自叙伝みたいでつまらないかもしれませんが、良ければたまに読んでください。
これから、宜しくお願いします。
三帖ゆうじ